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平成23年4月9日土曜日

上杉鷹山 「なせばなる」指導者としての使命 - MSN産経ニュース

上杉鷹山 「なせばなる」指導者としての使命 - MSN産経ニュース - 「最も尊敬する日本人は誰か」という日本人記者の質問に、ケネディ大統領が、「上杉鷹山(ようざん)」と答えたという有名なエピソードがある。真偽はともかく、この話で面白いのは質問した記者が上杉鷹山を知らなかったという「落ち」がついていることである。

 国定修身教科書を通じて、上杉鷹山(1751~1822)は明治天皇、二宮金次郎(尊徳)に次いで多く取り上げられてきた。ところが、戦後の教育では、鷹山は忘れられた存在となったために、日本人の方が鷹山を知らないという皮肉な結果もうなずけるからである。

 養子として米沢藩の藩主となった鷹山は、窮乏のどん底にあった藩の財政再建に乗り出す。自ら質素倹約を励行し、養蚕と荒地の開墾を奨励し、米沢織の振興に尽力するとともに、藩校として興譲館を創設した。

 国定修身教科書では、鷹山が領内に倹約の命令を出し、自らの食事も一汁一菜(いちじゅういっさい)、着物も木綿で通したと述べながら、次のように続けている。

 「鷹山の側役の者の父、或時在方(ざいかた)におもむきて知合の人の家に泊りたることあり。其の人ふろに入らんとして着物をぬぎしが、粗末(そまつ)なる木綿の襦袢(じゅばん)のみは丁寧に屏風(びょうぶ)にかけおきたり。主人あやしみて其のわけをたづねしに『此の襦袢は藩主の召されたものにて我が子に賜はりしを更に我のもらひしものなればかくはするなり』と答へたり」
 
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